「松岡直也フィーチャリングトゥーツ・シールマンス&松木恒秀/KALEIDOSCOPE」―――ジャンルでいうと「ジャズ・フュージョン」になるが、このアルバムと私の出会いは、1979年にアナログ盤でリリースされた当時まで遡る。
当時会社員だった私の同僚にジャズ・フュージョン系に詳しい音楽マニアが居て‥‥‥そう、以前ここで取り上げたジョー・サンプルの「CARMEL」を貸してくれた人物だが、その彼が「これ、デジタルレコーディングの一発録りで面白いから聴いてみなよ」と言って貸してくれたのが、アナログLP盤でリリースされたばかりのこのアルバムだった。
だが、そのアルバムジャケットを見ると、ビーチクくっきりの女性のヌードだし、参加しているのがなんとかシールマンスとかいうハーモニカ吹きらしいし、これはかなり怪しい音楽のような気がして、正直あまり期待していなかった。
ところがだ。当時のわが家のオーディオシステム(そこそこの値段のパイオニア製システムコンポだった)のアナログプレーヤーにセットして針を落とすと「これぞ一発録り」というような緊迫感溢れる生々しいサウンドがスピーカーから飛び出して来て、前出のジョー・サンプルに続き私のお気に入りアルバムの一つとなり、カセットテープにダビングして当時の私の愛車・
3代目タウンエースのカーオーディオで、それこそテープがすり切れるまで聴きまくったものである。
そしてそれから約十年後、私の愛車も6代目ハイエースとなり、そのカーオーディオ弄りにハマっていた時期(1991年)にこのアルバムがCD化されると「音の良いCD」を探しまくっていた私はすぐにこのCDを購入し、DATにダビングしてその自慢のカーオーディオで再び聴くことになる。
そしてさらに25年が経過した2016年11月、このアルバムが最新デジタルリマスターを施されて再CD化されるという情報を入手した私は、もう脊髄反射的にこれを「ポチってしまった」という次第であります(^^ゞ。
それでは早速このアルバムのレビューに入らせていただくとしよう。
まずは1979年のLPをカセットテープにダビングして3代目タウンエースで聴いていた時の印象はというと―――
その3代目タウンエースのスピーカーはそこそこの値段の16cm2Way、それを自作のガッチリとしたバッフルボードに固定していたのでけっこう低域が出ていたのだが、そのシステムで聴いたこのアルバムの印象は、まず何と言っても村上“ポンタ”秀一の叩くドラムの音がリアルで迫力満点で「おお、流石はデジタルレコーディング!!」という感じがしたものだ。
そして「ハーモニカおじさん」トゥーツ・シールマンスの奏でるハーモニカ・サウンドはとにかくノリノリでとても心地良く、「ハーモニカでこんなにも感情豊かな演奏ができるものなんだ」と感嘆させられたし、他の参加ミュージシャン(どれも一流ミュージシャンばかり)との息の合ったプレイも聴き応え満点で、「音の良さ」と「楽曲の良さ」「演奏の良さ」と三拍子揃った素晴らしいアルバムとして当時のへヴィーローテーション入り。お陰で今でも全パートのフレーズが「脳内完コピ」されているような状態なのだ。
そして次の段階、CD化されたこのアルバムを6代目ハイエースで聴いた時の印象はというと―――
聴き始めてまず感じるのが「音量が小さい」ということ。そのため通常よりかなりボリュームを上げてやらないと良く聴こえないのだが、そのボリュームを上げたままの状態で聴いていると、1曲目「FALL FOREVER」の6:00あたりで、右スピーカーから“暴力的な”ドラムの音が、それこそスピーカーがぶっ飛んでしまうかと思うほどの大音量で聴こえてきて、ビックリしてしまうという状況となる。
そのドラムの音は、それはもうまるで右スピーカーがドラムそのものになってしまったかのようなリアルな音で、このアルバムの音の良さを充分に感じさせるものではあったのだが、とにかくそれ以外の音との音量差があり過ぎるのだ。
これは、いわゆる「ダイナミックレンジが広い」音創りと言うのだろうか、まあ音響的に優れたリスニングルームでじっくり聴き込む分には素晴らしいのだろうけど、エンジンの音やロードノイズ等が溢れるクルマの中で聴くには適さない音創りであると感じたものだ。
私はこの6代目ハイエースのカーオーディオにいろいろと注ぎ込んで「原音再生」を追求したものの、辿り着いたのは「カーオーディオにそれを求めても無意味」という残念な結論だった、ということを以前にも書いたと思うが、その結論に至った理由というのが、まさにこの「様々なノイズが溢れるクルマの中は、優れたリスニングルームには成り得ない」という現実だったのだ。
当時「良い音のCD」を探し続けていた私は、その筋の雑誌で音楽評論家の方々が「良い音」であると太鼓判を押しているCDを買っては聴いて、「期待外れ」でガッカリさせられることがとても多かったのだが、大体そういうCDはダイナミックレンジが広い音創りがされていて、クルマの中で聴くには不向きな音楽であった気がする。
そして、それとは逆にコンプレッションをかけ、ダイナミックレンジを狭くした音創りの方がクルマの中で聴く分には良く聴こえるのだけど、評論家の先生方に言わせるとそれは「音の良くないCD」ということになるのだろう。
そんな感じで、1991年にCD化された「KALEIDOSCOPE」は、クルマの中であまり聴くことはなくなってしまっていた。
そして2016年、現在のヴェル様のJBLプレミアムサウンドシステムでこれ(1991年版CD)を聴いてみた印象はと言うと、たしかにデジタル一発録りでリアルな音ではあるのだが、やはり音量の小ささがマイナスポイントだったりもして、あまり心に響いては来なかったというのが正直なところだった。
で、そんなところに新たにリリースされたのが、最新のデジタルリマスタリングによって再CD化された2016年版KALEIDOSCOPE。これはもう聴いてみるしかないでしょう!?!?
というわけで、またしても前置きが長くなってしまいましたが、ようやく本題の「JBLプレミアムサウンドシステムで聴くKALEIDOSCOPE(2016年版)」までたどり着くことができました(^^;。
まずはこのアルバムの参加ミュージシャンを、1991年版CD付属の写真で紹介しておきましょう。
最初にアナログ盤がリリースされたのは1979年だから、この写真は約40年前に撮られたものってことになる。どうりで土岐麻子のお父さんも若いわけだ(^^)。
―――大変お待たせいたしました。それではこの最新デジタルリマスター版を聴いてみましょう。
1曲目「FALL FOREVER」
トゥーツ・シールマンスが参加しているのはこの曲とエンディング曲の2曲のみだが、世界的なハーモニカ奏者との初セッションということで、各ミュージシャンの緊張感がひしひしと伝わってくる。この空気感まで感じられるのは「一発録り」ならではだろう。
曲の序盤では、各ミュージシャンが互いに探り合うような感じで緊張感を伴ったプレイをする中、「完全アウェイ」なはずのシールマンスがゆったりと、それでいて力強いハーモニカサウンドを奏でる。もう完全に「格が違う」という感じだ。
11分を超える長い曲だが、曲の終盤では全員が完全にシールマンスの世界に引きずり込まれ、一体感のある素晴らしい演奏を聴かせてくれている。
2曲目から4曲目まではシールマンス抜きで、気心の知れた仲間同士の「阿吽の呼吸」とでも言えるような素晴らしい演奏が展開されるが、リラックスした中にも「一発録り」ならではの緊迫感溢れる雰囲気が伝わってくる。
音像のリアルさ、楽曲の良さという点でも聴き応え十分だ。
5曲目「FANCY PRANCE」
アルバムを締めくくるこの曲で再びシールマンスとのセッションとなるが、1曲目のような緊張感は消え、出だしからとてもリラックスした雰囲気で演奏が始まる。
最初は松木恒秀のエレキギターがフィーチャーされているが、2分30秒経過したあたりでシールマンスのハーモニカが登場すると、さらにリラックスした空気が溢れ、聴いていてとても心が落ち着いてくるのを感じる。
そして、この曲も10分を超える長編だが、終盤になると心地良いスイング感に包まれながら各ミュージシャンのプレイがより一体感を増し、全員がこのセッションを心から楽しみながらプレイしているというのが伝わってくる。
そして最後は、スタジオに居る全員が「あ~これでもう終わりか‥‥‥」とシールマンスとの別れを惜しんでいるのがひしひしと伝わってくるようなエンディング。CDの再生がすべて終わった後も、しばらくその余韻に浸っていたくなる感覚だ。
というわけで、最初は「デジタル一発録り」ということで注目されたこのアルバムだが、実は「ライブ盤」としてもとても内容の濃い逸品であると言えそうだ(普通のライブ盤と違って観客が存在しないが)。フュージョン系の音楽に興味がある方は必聴です。
CD全体を通しての音創りについて書かせていただくと、まず何と言ってもそのサウンドのクリアさと音像のリアルさは特筆もの。特にドラムの音のリアルさは驚嘆に値するが、そのドラムの音像が左右いっぱいに拡がってしまうため、一発録りのライブ感が損なわれてしまっているのは残念だ。
おそらく「一発録り」とは言ってもマイクロフォンは何個もセットして各楽器の音をミックスしているのだろうが、他の楽器の音像がビシッと定位しているのに、ドラムス全体は巨大な音像となっていて別チャンネルでミックスダウンしたような音創り。1個1個のドラムの音像はビシッと定位しているのに、それぞれの間隔が離れすぎていて、ライブのステージを想像するとドラムスだけが超巨大で現実離れしてしまっていると感じる。
個人的にはこういう左右に流れるドラムスの音創りは好きなのだが、このアルバムに関してはドラムス全体をステージ奥に、もっと小さく定位させた方が良かったような気がする。
また、1991年版CDで気になった音量の小ささ(≒ダイナミックレンジの広さ)に関しては、今回のリマスタリングでコンプレッションがかけられたようで、他のCDと同じような音量感に変わっていて、かなり聴きやすくなっていると感じられたが、その分冒頭で書いた1曲目6:00あたりのドラムの音のインパクトはやや薄れているが、それでもこのアルバム全体を通して村上秀一の「雷鳴のようなドラミング」はその演奏、サウンド共に驚嘆に値する。
ただ、バスドラムの存在感があまりなく、ベースも同様に表に出てこない。聴いた感じではだいたい40Hzから下がカットされているのではないかと思えるほどローエンドの空気を震わす重低音が不足気味。
また、シンバルの音も金属の響きがあまり感じられず擦過音のようになっている場合が多いのも気になった。
だが、上記の点を除けば、あとは非の打ち所がないくらいクリアでリアルなサウンドを聴かせてくれるこのCD、価格もお手頃なのでフュージョンにあまり興味がない方にもおすすめの一枚です。
最後に、このアルバムでその演奏能力の高さと人間性の大きさを存分に発揮している「世界一のハーモニカ奏者」トゥーツ・シールマンスは2016年8月22日に、そしてこのアルバムのリーダー的存在だった松岡直也は2014年4月29日に、さらにこのアルバムで見事なギタープレイを披露してくれている松木恒秀も2017年6月18日に、それぞれ惜しまれつつ他界してしまっている。
このアルバムは、そんな3人の名ミュージシャンが残してくれた素晴らしい「音楽遺産」といってもいいだろう。
↑2016年版CD付属のライナーノーツ
↑1991年版CD付属のライナーノーツ↓