新たな企画として「トランポ裏話」シリーズを始めたものの仕事が忙しくなってしまい、第一話をアップした後もう一年以上経ってしまっていますが、ようやく第2話・2代目ライトエース号の裏話です。
元ネタはこちら
→歴代トランスポーター今から約45年前、四輪免許を取ったばかりの私に親がなけなしの金をはたいて買い与えてくれた一代目デリカ号、そんな大事なクルマを早戸川の帰りに横転させて半年で廃車にしてしまった親不孝な私でしたが、その親はそんなこともあろうかと見越して(?)車両保険も付けていてくれたお陰で、すぐに次のトランポを出費なしで手に入れることができたのでありました。
それがこの2代目トランポ・ライトエース号です↓
なにせ昔のことなので写真がこれくらいしか残ってないのですが、とにかくこの2代目ライトエース号は私にクルマいじりの楽しさを教えてくれたトランポでありました。
この写真でもわかるように、ラッカースプレーで色を塗りまくってオリジナリティ(?)を出してました。そう、まるでプラモデルのような感覚でカスタマイズしてたんです。
ネット上から画像を拝借したノーマルのライトエースはこんな感じ↓
今見てもなかなか都会的な洒落たデザインで、一代目のウーパールーパー(笑)に比べると随分と垢抜けた感じですよね。
そのデリカ号に比べたらエンジン排気量が小さいのでパワーは劣っていたけど、エンジン音は「ヒュ―――ン」って感じでなんとなく乗用車っぽかったし、コーナーでパワーをかけても内輪が浮いてしまうことはなかった‥‥‥ んだけど、実を言うとデリカ号で横転したことがトラウマになってしまい、その後しばらくの間「コーナー恐怖症」になってしまっていた私。
どういう事かというと、コーナーに差しかかってクルマが少しロールしただけで、もうそのままフワリと内輪が浮いて横転してしまうような感覚に襲われていたのです。
あの横転事故では私が右肩をちょっと深く擦りむいただけで同乗者にはケガはなかったのですが、もしも横転した所に縁石とかがあったら私は頭を強打して死んでたかも知れないとか、左コーナーだったら同乗者にケガを負わせてしまったかも‥‥‥とか、後で考えると恐ろしくなってしまい、その結果、今思えば軽~いPTSDの状態になっていたようなのです。
なので、コーナーに差しかかって横Gが加わり車体がロールすると、あの横転時の光景(目の前の地面が回転する)がフラッシュバックされるような感じだったのです。
初めてこの感覚に襲われた時はちょっとしたパニック状態に陥ってしまい、それからしばらくの間はコーナーは亀のようなノロノロ運転で走っていました。
でも、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とはよく言ったもので、そんな低速コーナリングに終始していたのも数カ月の間だけ。そのうちまたヒール&トーを駆使してコーナーを攻めるようになっていった私とライトエース号。デリカ号とは違ってコーナーで内輪が浮くことは無かったので、ダート路面や雨の日などは低速コーナーの立ち上がりでフルスロットルにすると後輪をパワースライドすることも可能でした(その結果3度ほどスピンしてしまったことがあります(^^;)ホント懲りない男でしたね~)。
そんなわけで1200㏄ではパワーが足りないと感じていて、少しでもそれを補うべくしょっちゅうエンジンを弄っていました。
最近のクルマはエンジンフードを開けても何がどうなっているのかわからない状態で、シロートが弄れるシロモノではなくなってしまっていますが当時のクルマはとても単純で、例えばディストリビューターのキャップを外すとその下にはポイントがあって‥‥‥って言っても今の若い人は「ポイント?なにそれ買い物で使えるの???」って感じでしょうけど、昔のエンジンはバイクもクルマも「ポイント点火」ってやつだったんですよ。
そして、そのポイントが取り付けられているディストリビューター本体はネジを緩めると軸廻りに少し回転できるようになっていて、そこで簡単に点火時期を調整できる仕組みだったんですねぇ。
↑左上のエンジンの画像の赤い部分がそのディストリビューター。
で、点火時期を早めにするとパワーがアップする感じになるのだけど、アクセルを踏み込んだ時に「カリカリカリ‥‥‥」というノッキング音が出てしまうので、出るか出ないかギリギリのところに点火時期をセットしていました。まぁ今では考えられない超アナログな仕組みですね。
その他では当時流行っていた「眉唾モノ」のチューニングパーツで「レスコー」というのがあって、それも取り付けていましたね~。
「レスコー」とはどんなものか説明すると、キャブレターとインレットマニホールドの間に挿入するパーツで、形状としては薄いステンレス製のパイプの内側に8カ所ほど切り込みが入っていて、そこを斜めに内側に折り曲げてあるという簡単なもの。
当時のカー雑誌によく載っていたレスコーの広告によると、キャブレターを通った混合気がこの斜めの板により渦巻き状の流れになって、霧状だったガソリンと空気が攪拌され気化を促進、シリンダー内での燃焼力がアップするという触れ込みで、当時まだ人生経験が浅く、広告などはまず疑ってかかる今の私と違って(笑)人の言うことを素直に信じてしまっていたウブな私はイチコロで欲しくなり、価格も安かったこともあって近所のカー用品店に行き即購入。自分でキャブを外して取り付けたのでありました。
で、すぐにワクワクしながら試運転。そしてその感想は「う~~ん、わかんない」って感じだったのだけど「安かったからまぁいいか(^^ゞ」と思えたし「きっと少しはパワーアップしてるに違いない」などと思ったりもしていました。
そんな感じで暇さえあればその近所のカー用品店へ行っていたので、そこの店長とも顔見知りになり、ある日「カーステレオ」(←今では使わなくなった呼び名だ)を見ていたら「このカセットいい音するよ」と言って奨められたデッキを迷わず購入してしまった私。そう、この頃はもう会社員になって給料も貰っていたので、このカー用品ではその後アルミホイールも買ったりと、けっこういいカモ‥‥‥いや、お客さんだったんじゃないかなぁ(^^;)。
そのカセットデッキはどこのメーカーのだか忘れてしまったけど、ドルビーとかメタルテープ対応とか当時の最先端の機能が付いていて、たしかにいい音だと感じたものだった。
そしてスピーカーも店長お奨めのオーバルタイプの物を買って自分で取り付けたりして、今思えばこのライトエース号で、奥深いカーオーディオの世界に足を踏み入れてしまった(?)私でありました。
↑この頃のカーオーディオはDIN規格なんてなかったから、カセットデッキはダッシュボードの下にステーで取り付けていた。そしてこの「せんべいベンチシート」、懐かしいなぁ。
私はこの運転席シートの真ん中部分のあんこを抜いて「バケットシート風」にして乗っていましたけどね(^^ゞ。
このライトエース号で初めての長距離ソロドライブ・石川県小松市の大倉岳スキー場で行なわれた「大倉岳2日間トライアル大会」へ一人で参戦した時のことだったんだけど、当時は今のように高速道路網が整備されていなくって、東名→名神→北陸道とすごい遠回りのルートで行く途中、浜松の手前でメーターパネルのチャージランプが点灯。浜名湖サービスエリアに入って点検したらどうやらオルタネーターのトラブルらしく、いろいろ弄っていたらオルタネーターのコネクターをある方向に押し付けるとチャージランプが消えるので(後でわかったのだがブラシがすり減っていたのが原因)、とりあえず針金でその方向に引っ張って応急処置を済ませ、遅れた時間を挽回すべくちょっとスピードを上げて走っていたら北陸道でネズミ捕りの餌食になり、80km/h制限のところ35km/hオーバーで初めて青キップを切られる――― という踏んだり蹴ったりの遠征となってしまったという苦い思い出がある。
この時は大会の成績も振るわず、ゴール前にコース脇に見えたダム湖にバイクごとダイブして消えてしまいたい気持ちにもなったが、翌年の
同じ大会に出場し2位に入りリベンジを果たすことができたのでした(^^)v。
そんな感じで、トラブルもあったけどいろいろいじりまくってとても愛着のあったこのライトエース号でしたが、あちこち老朽化も目立ってきたし、会社員となって給料をもらえる身分になったことだし、3代目トランポは初めて「新車」を買おうということとなり、約2年間乗ったところでお別れすることとなりました。
―――というわけで、この話は3代目トランポ・タウンエース号の裏話へと続きます。