緊急事態宣言が解除されたと言っても事態の収束にはほど遠い状態で、もうしばらくは引き篭りを続けようと思っているうちに、この最悪の2020年ももう半分が終了。半年前にはこんな状況になろうとは誰も思っていなかっただろうけど、実を言うとこの私は、元旦からこの2020年が最悪の年になりそうだという予感(と言うか実感)を感じていた。
昨年の10月末に自主的に
ツインリンクもてぎの山に入って重労働した後、腰に痛みを感じるようになっていたのだが、2020年が明けたばかりの1月1日の夜中、もうどうにも腰の痛みが治まらなくなって一睡もできず元日の朝を迎えるという、まさに最悪の新年のスタートを切ってしまったのであった。
とにかくもうどういう体勢をとっても腰椎の神経が刺激され、いわゆる坐骨神経痛の症状が出てしまったのだ。
それまではなんとなく腰に違和感があっても、神経を刺激してはいなかったので耐えられる痛みだったのが、2020年になった途端に激しい神経の痛み――― これはもう我慢できないので正月休みが明けるのを待って行きつけの整形外科へ駈け込んで診てもらった。
そしてレントゲンを撮った結果「腰椎変形症」という診断が下された。
加齢に伴う腰痛の多くは「腰椎すべり症」と言って腰椎が前後方向にずれるらしいのだけど、私の場合横方向にずれてしまっている。
私としてはこの坐骨神経痛の痛みとずっと付き合うのは勘弁してほしかったので、手術で治るものならすぐにでも手術してほしいと訴えたのだけど、リスクの大きいオペになるのでとりあえずは保存療法で様子を見ましょう、ということになった。
そしてリハビリに通う日々が続くことになったのだが、理学療法士の先生の的確な指導のせいもあって、症状は徐々に快方へと向かって行った。
だが、やはりちょっと無理な労働をすると坐骨神経痛で足まで痛みが走ることもあり、まさに腰に爆弾を抱えているような状態‥‥‥そんな状態で迎えた私が競技監督を務める
ツインリンクもてぎの関東選手権トライアル大会は、痛み止めの薬を飲みながらなんとか無事に乗り切ったのだけど、もう自分を犠牲にしてトライアル界のために働くのはこれを最後にすることに決めた。
思い返せは20年ほど前、話の流れでMFJ埼玉トライアル部会長に担ぎ上げられてしまって以降、まだ自分が走りたいという気持ちを捨ててオフィシャル側に回り、まさに身を粉にして商売も二の次にして大会運営の道を歩み続け、気がつけばもう還暦を過ぎて身体はボロボロ。
5年前には膝関節を傷めてしまい整形外科医の診断は「もう人工関節にしなければ治らない」とまで言われたものの、やはり理学療法士の先生の適切な指導の下でリハビリを続けることによって奇跡的とも思える回復を果たしたというのに、今度は腰の故障だ。
膝も腰も、大会設営のために過酷な重労働を続けた結果の故障である。もうこれ以上他人が楽しむ大会運営のために自分の身体をすり減らすのはやめにしよう。
そう、これから先の人生は、自分の楽しみのためだけに自分の身体を使って行こう――― そう決意した私は、Stay Homeで整形外科のリハビリ室へ通えない分、自宅の屋上で毎日のようにリハビリを続けている。
お陰様で、年の初めにはあんなに悪かった腰の状態も今ではすっかり良くなってきている。
COVID-19が終息を迎えたら、今まで以上にヴェル様と共に自然の中に飛び込んで、残りの人生を満喫できるよう‥‥‥今はその準備中です。