以前書いた通り、オープンしたての筑波サーキットへ行ってレース場の雰囲気を生で味わってしまったわれわれカーキチ中学生トリオは、その後カーレースの世界へさらに足を深く踏み入れ、中学卒業目前の1971年3月、晴海の国際見本市会場(国際貿易センター)で開催された「第4回東京レーシングカーショー」を観に行くことになる。
当時、晴海の国際見本市会場といえば「東京モーターショー」が毎年行なわれていて、当然のように我々も観に行っていたが、展示車の中には運転席に乗り込みOKな車両も多数用意されていて、われわれカーキチ中学生はクルマの運転なんかした事もないくせに、シフトレバーやペダル類をガチャガチャ弄りまくって「ウォンウォン!ヒール&ト―だぜ!!」とかやりたい放題(笑)。まぁ何ともおおらかな、良き時代だったなぁ‥‥‥(遠い目)。
で、レーシングカーショーの方はモーターショーより規模は小さいものの、サーキットで活躍しているレーシングカーそのものを「生展示」し、さらには有名レーサーも展示‥‥‥じゃない、顔を見せることがあるという、それこそレースファンにとっては堪らないイベントであった。
そこで我々は、真新しい純白のポルシェ908Mark2が展示されているブースの中に佇む「風戸裕」と出逢ってしまったのだ。
当時の風戸裕といえば、「飛ぶ鳥を落とす勢い」‥‥‥いや「飛ぶ鳥をいきなり唐揚げにしてしまう勢い(笑)」で大注目を集めていた若手レーサーだった。
もちろん私も「いちレースファン」として風戸裕のことは良く知っていた。知っていたが「金持ちのボンボン」という印象が強く、貧乏な家庭で育った私とは住んでいる世界が違いすぎる、という「ひがみ根性」から共感できない部分があり、「アンチ」ではないけど「ファン」でもないという立場だった。
ところがだ。生で見る風戸裕の「カッコ良さ」に、私は一発で心を惹かれてしまったのである。
そう、今風の表現で言えば「オーラが半端ない」ということになるのだろうが、当時の私の感想としては「スター性のある人って、この風戸裕のような人のことを言うのだろうなぁ」って感じ。
とにかくレース雑誌の写真で見るよりも、実物の方が何倍もカッコよく、大きくも見えた。
そんな風戸の姿を少し遠巻きに眺めていると、その横に何枚か置かれているLPレコードが目に入った。この少し前に発売されていた風戸のドキュメンタリー的なレコードだ。
私はそのLPレコードをなけなしの小遣いから1,800円払って購入し、それを持って風戸のもとへ駆け寄り「これにサインしてもらえますか」と声を掛けた。
すると彼は快く頷いてくれて、そのLPレコードのジャケットに手慣れたペンさばきでサインをしてくれたのだった―――。
その時のサインがこれである↓
‥‥‥欲を言えば、もっと白い部分にサインしてくれれば――― とも思ったが、愛車ポルシェを汚したくない、という彼の優しさの表れだったのかもしれない。
このLPレコードのタイトルは「RACER-レーサー風戸裕」。当時としては珍しいレーシングカーの走行音満載のドキュメンタリーLPである。
このLPレコードについては書きたいことが山ほどあるので、また別の記事としてじっくり掘り下げていく予定でいますので、今回は写真のアップだけにさせていただきます。
というわけで、実物を見てそのオーラの半端なさにイチコロで風戸裕ファンになってしまった私は、自分でもビックリするような大胆な行動に出て彼のサインをゲット。浮かれ気分でその「直筆サイン入りLPレコード」を抱きかかえるようにしてその場を離れると、カメラを首から下げたスーツ姿の男性が私に駆け寄ってきて、名刺を見せながらこう言ってきた。
「毎日グラフの○×という者ですが、先ほど風戸選手のサインをもらってましたよね?」
いったい何事か!?と動揺しながら「ハイ‥‥‥」と答える私に、その男性はさらにこう問いかけてきた。
「風戸選手のどういうところに惹かれますか?」
突然の事態に、動揺が収まらない私はなかなか適切な言葉が見つけられず、しばしの沈黙が続いた後こう答えるのが精一杯だった。
「うーん‥‥‥若いしぃ‥‥‥」
その後の言葉が出てこないのを見て、しびれを切らしたその雑誌記者と思しき男性は「ありがとうございました」と言いながら風戸裕のいる方角へと小走りに戻って行った。
私は、その男性の問いかけにうまく答えられなかった事をちょっぴり悔やみながら「毎日グラフってレース雑誌じゃない一般誌だよなぁ。それが取材に来るほど話題になってるって事かぁ‥‥‥」と、改めて風戸裕の「勢い」を実感させられたのであった。
そんな感じで、この時観に行った東京レーシングカーショーの事は、この出来事以外何も覚えていないような状況だったが、この話には後日談がある。
そう、それは東京レーシングカーショーを観に行ってから1カ月以上経過したある日のことだった。
中学を卒業して高専に入学した私は、例のカーキチ仲間とは離ればなれになってしまっていたが、カーレース好きであることに変わりはなかった。
そんなある日、いつものように本屋さんでレース雑誌を立ち読みしていた時(←本屋さんごめんなさい<m(__)m>)、ふと東京レーシングカーショーでの出来事を思い出した私は、自動車関係の雑誌が並ぶ場所から離れ「毎日グラフ」という雑誌を探し始めた。
「あった!‥‥‥え~っと、目次、目次‥‥‥これだ!!」
毎日グラフという雑誌を発見し、目次を探すと「時の人~レーサー・風戸裕」といった感じの見出しを見つけ、そのページを開くと―――
そこで目に入って来たのは、LPレコードにサインをしている風戸裕の写真。そしてその横に写っているのは‥‥‥ そう、紛れもないこの私ではないか( ゚Д゚)!!
本来なら一般誌に自分の写真が載るなんて嬉しい出来事のはずだが、その写真に写っていた私の姿ときたら、着てる服はダッサダサだし「なで肩」感半端ないし、その上表情は締まりのないニヤニヤ面(ーー;)。
もうこれだけで気分がダダ下がりのところに追い打ちをかけるように、こんなキャプションが付けられていた。
【「若いところに共感する」と語るちびっ子ファンからのサインの要求にも気軽に応じる風戸裕】―――オイオイ、そりゃあないぜ(-_-メ)。まぁ「若いし」としか答えられなかったから「若いところに共感する」って創作?するのは許すとしても、中学卒業目前の男子を捕まえて「ちびっ子」って‥‥‥ 身長だってクラスで後ろから2番目だぜ!?!? それを「ちびっ子」って‥‥‥(涙目)。
微かに残る記憶を頼りに、その写真をイラストで再現してみるとこんな感じ↓
【「若いところに共感する」と語るちびっ子ファンからのサインの要求にも気軽に応じる風戸裕】‥‥‥こんな感じで、本来なら一般誌に自分の写真が載ったら、それを買ってみんなに見せびらかして自慢しまくりたいはずなのに、この時の私ときたら、立ち読み中にこの写真のページを破り捨ててしまいたい衝動に駆られてしまった――― それくらい残念さで一杯になってしまったのだ。
なので、この雑誌に自分の写真が載ったことはカーキチ仲間にも親にも、誰にも教えず私の心の中だけにそっとしまっておく「黒歴史」となったのでありました。
‥‥‥そんな私の黒歴史のことなんかはどうでもいいのだけど、この約3年後に風戸裕が富士スピードウェイでのレース中に事故死してしまうなんて――― この時には想像すらしなかったのだが、改めて「RACER 風戸裕」のレコードを聴き直してみると、風戸裕は死をも覚悟の上でレースに打ち込んでいた、ということがひしひしと伝わってくるのでした。
LPレコード「RACER 風戸裕」については
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